目覚ましの音をサーモンランの「あとひとり」にしたらどうだろうか
永眠しかねないか びっくりして
この記事はちょっと毛色を変えて
「世界のあるゲーム」の魅力について書いてみようと思います
ここで言う世界はゲームを進行するための「ストーリー」ではなく
まさに世界があるということです
プレイヤーが入り込める世界があると言えばよいでしょうか
個人的には絵画にもそうしたものがあり
客観的に眺める絵画もあれば絵の中に入り込める絵画もあります
絵画と違いゲームは鑑賞するものではなく参加するものなので
入り込めることがより意味を増すのではないかと思っています
というのもフレンドのこのいと嬢(@konoito0lv69)が
しばらくスプラトゥーンをしない環境にいたとき
何がつらいって「広場に行けないこと」がつらいとおっしゃっていて
ほう!と思いました
この世に面白いゲームは数多あるのでゲームしたいなら違うゲームを楽しむことはできる
でもスプラトゥーンの広場はスプラトゥーンにしかないんですよね
究極を言えばバトルもバイトもしなくても
スプラトゥーンを楽しむことはできるのかもしれない
それはすごいことではなかろうかと
そういえば自分もコロナ禍にあった頃は
「あつまれ どうぶつの森」を毎日やっていました
ゲームをするというよりも完全に島に退避していましたね
当時その世界にいることでそれはそれは∞
心が休まりました
「世界」のあるゲームは本当に素晴らしい
いろいろなゲーム世界があるけれど
それを破綻なく作り上げた方々にはリスペクトしかありません
【スプラトゥーン3| Nintendo Switch】
【あつまれ どうぶつの森| Nintendo Switch】